合唱団訪問記:女声アンサンブルJuriさん その2

 

 

 

合唱団訪問記、女声アンサンブルJuriさんの第2回目です。

 


ここで練習されていた西村朗先生の「浮舟」は
今年の高松全国大会で、取り上げる高校生が
何団体もいますね。

 

 

 

 

 

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「合唱団訪問記」

第5回その2
「女声アンサンブルJuri」さん見学記

 

 

 

 

 

 

 前回のお話の後、大変良いお言葉を頂いたのだが。
 それは最後にして、練習再開!

 少し「Five songs of nonsense」の
それぞれの曲を練習してから藤井先生。
 「じゃあ通してみようか。8割の力でね」

 おー、演奏会前に8割の力と言えども1ステージ全曲聴けるとは…。

 8割ね。


 8割


 ・・・はちわりぃ?! 

 

「これ」でっ??!!


 ソプラノの高い音での弱声の美しさ。
 メゾの旋律の確かさとなめらかさ。
 アルトの体全体から響く低声。

 体の深いところから響いた声が大気に溶ける軽さまで
ひとつの流れとなって連続してなめらかに流れていく。

 
 うーん、やっぱスゴイ! Juri!!

 この曲に関しては、中学生の演奏で聴いたことがあるのだけど、
もちろん中学生なりの良さはあったと思うが、
やっぱり「まじめと軽妙さ」の対比、っていうかな。

 客観的に楽曲の魅力を聴衆に伝える、という点で
やはり“オトナの女性”のJuriの演奏に軍配は上がる。
 まあ、Juriと、例え全国レヴェルだとしても
中学生の合唱を比べること自体、ムリがあるが・・・。


 続いて西村朗作曲の無伴奏女声合唱組曲「浮舟」

 ムムッ。がらあーり、と雰囲気を変え、
源氏物語の和歌の世界。

 「匂宮と薫という二人の貴公子から愛され、
  薫の精神的な愛に対する節義と
  匂宮への官能的な愛のはざまで苦しみ、
  追いつめられて、ついには自殺を決意して
  宇治川に入水する若き薄幸の姫君 『浮舟』」

 (楽譜から)

 の世界を妖しく、美しく表現~。
 この曲も、女子高校生の演奏で聴いたことがあるが・・・。

 いやあ、この演奏に比べれば、どんなに上手に歌っても
女子高校生の演奏は「絵に描いた『浮舟』」、という感じ。

 もちろん、絵には絵の良さがあるが、
一人の生きた女性として「浮舟」を感じさせ、聞こえさせるような
Juriの演奏は、やはり世界が違うというか・・・。

 藤井先生の指示も、この曲になってから、声楽的なものが増えてくる。
 ホラ、やっぱり~。
 さっきの質問の時思わず言っちゃったもんね。


 ・・・あのう、響きのいい場所で練習して
Juriさんみたいになれるなら。


 全国、イタルトコロに
Juriさんができると思いますが~~



…ってな!
(まあ、でも響きの良い場所で、練習する機会を持つのは大賛成だけど)


 「声がノドにかかっているよ。横隔膜を下にして!」

 2曲目なんかは16分音符の「Ru」の速い連続で、大変に難しいのだが。
 「ピッチが無くなってる!
  喉で器用にピッチを変えるから、(その結果ピッチが)無くなるんだよ。
  一つのしっかりしたフォームで歌わないと」


 「音が共鳴する部分にピッチを当てるように」
 (狙う音程の感覚を、実際に“響く”場所で決める)

 「舌が奥に引っ込んでるから、こもった音になって音が下がるよ」

 ・・・いやあ、ワタシなんかは「もういいんじゃねえか」
と思うレヴェルなんだけど妥協しない。
 鋭く、的確な発声面の指示を藤井先生は与える。
 他の指導者よりも核心をズバリ突いて、わかりやすい、という印象。 

 (ズレていたら申し訳ないけど)
 胸郭を高くし、楽器としての体を広げ、
それをどんな時でも保つように・・・

という目的からの指示に思えた。
 結果、体や喉に負担をかけず、安定した、響きのある声が出ている。

 そして、もちろん各パートに“歌える”人はいるようだけど。
 それだけではなく、藤井先生の発声指導が団員全員に
深いところまで染み渡っている、という気がした。

 各パート4~5人だが、それが3人、2人、そしてひとり!
歌わされても、臆せず、積極的に歌に向かっていく。

 だからこそ、隣で聴いていると「カラダが震えるくらい」
響きのある、素晴らしい声になるんだなあ・・・。


 休憩中、藤井先生に
 「ウルサイでしょうー、ソプラノ(笑)」と声をかけられ

 「ここ数年でここまで、ヤカマシくなったんだよね~」
 …って、嬉しそうに言いますねえ(笑)。


 正直、演奏会直前なので、ダイナミックな音楽の設計みたいなのは
見られず、細部を丹念にやって、その結果、
『単調な練習』になると予想していたが
…とんでもない!

 本当に高いレヴェルの「もう一息!」という箇所を、乗り越えさせようとする。
 その執念、というか情熱に圧倒されてしまった。


 そう言えば藤井先生が指揮する合唱団の演奏って
(「合唱団ゆうか」もそうだったが)
曲の最初から最後まで緊張感がとてつもなく持続する事が多いような。

 一度演奏が始まった途端、耳が目がステージに釘打たれて離れないのだ。
 どうしてかなあ、とずっと思っていたのだが。

 Juriの方々の歌う姿を見ていると、
「1つの旋律」がとても長いように聞こえる。
 まるで口から、幅広の滑らかなビロードの布が
長く、どこまでも長く天井に吸い込まれるような・・・。

 (幅広で長い、というので
 お昼に食べた山梨名物「ほうとう」も連想したが


 さすがに口から出ている


「ほうとう」のイメージは


マズイっ、て事で!




 1つのフレーズが終わっても、胸郭が下がらず、楽器がしぼまない。
 その結果、音楽がとても長く続く印象を持つのだ。


 さらに藤井先生の音楽。
 ピアニッシモに歌う意志を求める、というか
“ピアニッシモだからこそ”音楽的密度を高めようとする。

 「浮舟」は苦しい恋、背徳の苦しみを語った和歌を題材にしているのだが

 「『苦しみ』の音楽だから声を逃さないで!」

 (浅い声を出した時)
 「声に“日常”が入ってしまうのはおかしいよ」

 おだやかだが、熱のこもった語り口に音の温度がグングン高くなる。
 指揮も“能”を思わせるような、拍のエネルギィ。

 この日、藤井先生は白いシャツだったけど。
 …そういえばここに来る途中に見上げた富士山。
 あの山も白雪をかぶって泰然、としている時もあるが
その下では熱いマグマがグツグツと・・・。 なーんてね!


 密度の高い緊張感の持続。
 息が長い「つながっている」旋律。
 弱音に魂が込められ、強い音には響き渡る声が。


 うーむなるほど、目と耳が釘で打たれちゃうわけだ、観客(笑)。


 練習後半、出だしの音に
武満徹「ノヴェンバー・ステップス」の尺八の音を引き合いに出され

「一音で、瞬間の宇宙を造る…あの息づかい」、との言葉。


 表面的な美しさだけを追い求めるのではなく、
ノドから出るあえぎ声やタメ息、のような音色まで使った
深い表現に収束していく音楽の中。


 
 ひとりの女性 “浮舟”の姿が、
息と、衣擦れの音と共に
まぼろしのように立ち現れるのを感じた・・・。

 

 

 

(その3へつづく)