CANTUS ANIMAEThe 16th Concert 「新しい音」感想2



3st シェーンベルク「地上の平和」


難曲だよなあ、と聴く前に思っていたら
団員さんからも苦戦している様子が伺えて…。


要所要所の緊張感の表出、
表現の鋭さなどはあったけれど
音の難しさのためかその表現の奥にあるものは出ず、
やや表面的に感じられてしまったかなあ。


いや表面的と書いたけど、
形を整えられるだけでも大したものだと思います。
あと横の流れが出来ていたのも良かったですよね。
音が難しいと「流れが詰まった」ようになりがちだけど
そういう印象はありませんでした。


今、和声がどういう状態なのかを常に理解しなければいけない曲、と
メモにはあるんですけど、
調が移り変わる無調との狭間、みたいなスリリングな部分を
流してしまったという印象。


うーん、でも難しい曲ですよねー。
できればリベンジとして、またCAで聴いてみたいなあ。
(もうやりたくない? デスヨネー)



あとスウェーデン放送合唱団を聴いてから
どうも日本の合唱団の演奏の「響きの変化」に
物足りなさを感じるようになってしまって…。


CANTUS ANIMAEという合唱団は
いわゆるハイアマチュアで
個々人の発声やパートごとの発声は大変気を遣われていると思うのだけど
例えば4声がフォルテで出た時の響きなどは
フォルテなのに「各パートが共鳴し合う輝かしい響き」ではなく
なにかくすんだ、奥まった響きに聴こえる時が多くあったんです。
これは音程だけの為では無いと考えます。


あとソプラノとテノールが重なる時は
テノールはちゃんとソプラノの影になっていましたが
影になるだけではなく、主張して、
ソプラノと化学反応したような響きを作り出せたらもっと良いよなあ、と
思いながら聴いていました。


その曲、その箇所にふさわしい響き、サウンドの変化。
全パート、2声、3声のそれぞれの組み合わせでの理想の響き。
こういう考察は指揮者の領域かもしれませんが
CAほど歌える団体にはつい期待してしまうんですよね。





ラストの4st 信長貴富「くちびるに歌を」


うん、「雨のあとには」ももちろん良かったんだけど、
やっぱりこういう曲調のほうが本領発揮!という気がしたなあ。


雨森先生の音楽性とCAの歌力がタッグを組み、
自ずとドラマが生み出てくる印象がありました。


無機的な音がどこにも存在しない、
自発的な表現から生まれる音楽の盛り上がり。
特に最終曲の「くちびるに歌を」では
ドイツ語で徐々に高まり男声が歌いはじめる「くちびるに…」では
胸にぐっと来るものがあったし、
ふたたびの無伴奏、ドイツ語で、同じ旋律のはずなのに
また違った、万感の想いを込めたような歌い方には
やはりこみ上げるものがありました。


以下、我田引水というか牽強付会というか・・・。
「雨のあとには」のテキストと音楽の流れも
単純に絶望 → 希望 ではなく、
絶望から何度も示される希望と私は感じたんですよね。


そして今回のCAの「くちびるに歌を」も
希望を歌う同じ旋律と言葉が、
また違った歌い方で演奏されることに
私はとても意味を感じてしまったんです。
「絶望から人を救うには
 何度も手を差し伸べようとする強い意志と、
 それだけの力を持たなければならないのでは?」ってね。


目の前にいる困った人へ1回ぐらい手を差し伸べるのは
ほとんどの人ができるはず。
でも絶望に陥った人を救うのは、たとえ遠く離れていても
その遠くへ何度も何度も手を伸ばそうとする意志と力なんじゃないか?
…そんなメッセージを勝手に受け取ったわけです、私は。



アンコールは同じ信長さんの「こころよ うたえ」
演奏前に雨森先生からこの曲が出来た経緯について。


福島の喜多方、郡山、郡山東、福島東高校の4校の高校生が
2011年3月にジョイントコンサートを開催するために
ひとりずつお金を出しあって信長先生へ委嘱をお願いしたと。
しかし東日本大震災のため、そのジョイントは中止になってしまった。


翌年、5月の京都での合唱祭。
福島の高校生200人が招かれて
3月に演奏するはずだった委嘱曲「こころよ うたえ」を歌った。
初演演奏を聴いた信長さんは
「委嘱の代金はいりません」
そう言われたという。



ピアニストの平林知子さんも歌い手に。
はじまりの音から発火せんばかりの熱量!
哀調を帯びた熱い歌がホールにあふれ出す。


「ギターも ハーモニカもなくても」から
涙をこらえるあまり喉からヘンな音がしました。
「引っ掻き傷のような声」から堪え切れず。
命の全面的な肯定の歌。


総じて、良い演奏会だったと思います。
おっさんを泣かせるな!


この詩、この曲を歌った福島の高校生の気持ちは
どういうものだったのだろうか。
CAの演奏ももう一度聴いてみたいけど
東北の高校生たちの「こころよ うたえ」も聴いてみたいな・・・。

「こころよ うたえ」


だからこころよ せめてうたえ
あなたの複雑 あなたの空虚
あなたのふるえ あなたの繰りかえしを


あまりに散文的な日々も
あんまりなエピソードも
あたりまえのように消えてしまうけど
ギターも ハーモニカもなくても
その声でいい
引っ掻き傷のようなその声でいいから
ぼくはおもいっきりかなしく
おもいっきりせつなく
そしておもいっきり肯定的なうたを聴きたい


だからこころよ あなたはうたえ
いのち尽きるまでうたえ
こころよ うたえ



(詩:一倉宏 
 楽譜からの採詩なので間違いが多々あります)