Palette -四国合唱遍路道-ジョイントコンサート感想・後編

 

 

160名にもなる大人数の混声合唱の合同3曲。
ぜんぱくさん指揮のSamuel Barber「Agnus Dei(神の子羊)」は弦楽のためのアダージョ Op.11から合唱編曲された名曲。
切なく哀しみを帯びた息の長い旋律がそこかしこから湧き出でます。
弦楽版初演から約30年ほど経ち、ベトナム戦争で亡くなった人たちを想い、言葉を持った合唱に編曲された作品。
群衆は、一人一人静かに祈りを捧げる。
しかし、祈りは空しく届かず、でも彼らは希望を捨てずなおも祈り続ける。
だが混沌とした状況は終わらなく、彼らの苦悩はますます強くなる……そんな情景を思わせる演奏。
Barberの音楽は、混乱と苦悩を徐々に増していき。
かき集めたわずかな望みと無に返る落胆、その繰り返しで音楽と緊張は極限まで高まり、最後の願いはまるで各人が叫ぶ声。
ぜんぱくさんが大きく、折れんばかり力の限り腕を振ると、ホール全体が揺れるような大音量でPacem(平和を!)」 長く、息絶えるまで続きました。
静寂のあとの嘘のような弱音には、それでも絶望では無い、平和への強い祈りが込められていたと思います。


続く村上信介先生が指揮する松本望「永遠の光」。
前の「Agnus Dei」とは違い、優しく、光を伴った明るさで、なめらかに音楽があふれ。
「永遠の光」は元々2曲からなる「ふたつの祈りの音楽」の2曲目で、1曲目の「夜ノ祈リ」は対照的に希望を叩き潰す絶望の作品。
意図されたのかは不明ですが、前に演奏されたBarber「Agnus Dei」は「夜ノ祈リ」と同じ性質を持ち。
「Agnus Dei」の闇が深かったからこそ、「永遠の光」はまぶしく、自分たちの希望や夢として感じられました。
越智清加先生、酒井信先生連弾による、慰撫し、美しく輝くピアノも演奏の力を強め。
宗左近の詩「人の生みうる唯一つの無限、永遠」、それに示される祈りや愛という答えも、歌を伴うと本当に実感を持って響きます。
「Agnus Dei」とも繋がるラテン語の典礼文、絶望から生まれる確信、自分たちの全てで答えとして歌われる「それこそが 夢」。
演奏からまさに曲名の「永遠の光」が心の底まで届いたような、深い納得がありました。

 


演奏会最後の曲は、山本啓之さんが指揮、酒井信先生ピアノの信長貴富「くちびるに歌を」。
込み上げるものを堪えながら話す山本さん。
「コロナ禍、自分たちのくちびるには歌がありませんでした。この演奏会を機に、また、歌を始めていければと思います」。
涙を堪えていたのは実は山本さんだけでは無く、「永遠の光」を歌いながら目を押さえる歌い手さんを幾人も見ていました。
ステージ上だけでは無く、客席でも下を向き、目を擦る人も。
はじまりのドイツ語で歌われる「心に太陽を持て」が染み渡り、日本語の「くちびるに歌を持て」が強いリズムに支えられ渾身の力で歌われます。
詩は自身への励ましでもあるのですが、本質はひとのためにも言葉を持てと、苦しむ人を励まし、力づけようとするメッセージ。

 

「くちびるに歌を」を聴くたび、どうしても思い出してしまう方がいます。
今回のコンサートにも参加された徳島のSerenitatis Ensembleさん、その指揮者だった白神直之さん。
2019年末に急死された白神さんは、「くちびるに歌を」という作品をとても愛されていました。
兵庫県西宮市で2010年に行われた全国大会に、白神さんが指揮する徳島の男声合唱団「響」さんは自由曲に「くちびるに歌を」を選曲し。
その際、白神さんはこの曲を選ばれたことに、こう語られています。

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今回の選曲については・・・
これといった理由はなく、
とにかく「くちびるに歌を」を歌いたい!

なぜ、そう思ったのでしょう?自分にもわかりません。

ただ、最近とくに思うのですが
自分たちが、合唱で人のためになにか役に立つことができないか?
もし自分たちの音楽で、人を幸せな気持ちにさせたり、
人を勇気づけたりすることができれば、
それは自分たちにとってもとても素晴らしいことではないか
と思えるのです。
自分たちが楽しんで歌う・・・それが目的なら、
わざわざ舞台に立つ必要はないわけで、
やはり舞台に立つからには、
なにか聴く人の気持ちを動かしたいわけです。
それはコンクールであっても同じなんだと
最近思えるようになってきました。

(中略)

とてもメッセージ性の強い曲です。
その言葉の重みが聴く人の心に響き、
その人を元気にすることができれば、
このコンクールにおける「響」の役割は完結です。

「歌にはその人の人生がにじみでる
 ・・・だから大人の合唱は感動する!」
松下先生が以前におっしゃっていたことです。
ぼくもそう思いますし、
自分たちもそんな合唱団でありたいと思っています。

なんのこたえにもなっていませんが・・・
今のぼくの心境を書いてみました。


(「コンクール出場団体あれやこれや:出張版」2010 徳島:男声合唱団「響」さんの記事より)

https://bungo618.hatenablog.com/entry/20101118/1290090992

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後ろ姿はまったく違いますが、白神さんと、指揮する山本さんが重なります。
クライマックス「歌を!」と声の限り何度も繋げる箇所の最初に。
山本さんは一瞬だけ指揮する右手をガッ!と客席へ向けました。
目の前の歌い手たちだけではなく、客席にいる私たちみんなが歌を、くちびるに歌を持て!と強く訴えるように。

 

客席から熱い拍手がずっと続く中、山本さん息を切らしながら「最後にもう1曲……いいですか?!」
もちろん!との拍手に応え、新居誠司先生が指揮されたのは信長貴富「こころよ うたえ」。
福島県4つの高校合唱団の委嘱作品、初演直前にあの東日本大震災が起こり中止。
しかし約2ヶ月後、京都に招かれた福島県200人の高校生による初演が行われた作品です。
だからこころよ せめてうたえ」と歌い始めたとき。
そのとき、歌を選んだ目の前の160人と客席の自分の心が重なった気がしました。
聴きながら、コロナ禍で忘れようとしていた自分の「あまりに散文的な日々やあんまりなエピソード」の数々がよみがえり。
ピアノも他の楽器も伴わず、ただ人の声だけ、「引っ掻き傷のような その声でいいから」と歌を力強く肯定する。
信長先生が「歌うという行為に駆り立てられる衝動のような心の動き」と記した一倉宏氏の詩が、コロナ禍でままならなかった自分の心を揺り動かします。

 

あなたは歌え
命尽きるまで
歌え命尽きるまで
せめてこころよ
歌え

(一倉宏「こころよ うたえ」より)

このアンコールも、歌い手のみなさんだけでは無く、観客も一緒に歌い叫ぶような感動があり、気がつくと自分は涙を流していました。
初演が中止され、それでも予定された場所以外での演奏の機会を得た「こころよ うたえ」。
どんな絶望の中でも、人のためにくちびるに歌を持てと投げかける「くちびるに歌を」。
何度も聴いて、聴き慣れたはずのこれらの作品が、ふたたび歌を、また合唱を始めようと、まぶしいほどの輝きとして感じました。

 

今、Paletteジョイントコンサート感想を書いて思うのは、あの演奏会は間違いなく客席にいる人たちの心を巻き込み、さらに未来への種も蒔いたことです。
4年前の3月、同じ場所の高松レグザムホールで、今回も出演されたmonossoさんと愛知、東京の女声合唱団3団体による「ひなまつりジョイントコンサート」が開催されました。

 

当時の公募ステージの曲には、今回も演奏された信長先生の「百年後」があり。
Paletteが終わった後、ネットの感想を眺めていると、参加されたある方のこんなツイートが目に留まりました。(※転載許可をいただいています)

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合唱を初めて11年だけれど、のめり込んでしまったのは大学1年生の春、ひなまつりジョイントの公募合唱がきっかけでした。
「百年後っていう素敵な曲を歌ってみたい」と思って参加したら、もう感動して、それからというもの色々と公募合唱に参加したり、演奏会を聴きに遠方に足を伸ばしたりするようになって、一般団体を兼団するまでに…。

あのとき、若い世代に貴重な機会を作り、合唱との縁を繋いでくれた大人のみなさんにとても感謝しています。

そんなわたしが今日の四国ジョイントでは、団の一員としてみなさんと同じ側に立って、祈りを込めて、思いを伝えて…、本当に感無量です。

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今回Paletteの合同ステージにも、公募で参加される大学生が十数人いました。
コロナ禍で合唱する人たちは半減し、合唱そのものが世界に受け入られない、まさに合唱の危機があり。
そんな数年間を経てふたたび歌を、また合唱を始めようとする今。
この演奏会はとても大きな意味を持ったと確信しています。

演奏は一瞬のものですが
13年前の白神さんの演奏、
12年前の福島の高校生たちの演奏、
4年前のひなまつりの演奏、
今回のPaletteの演奏と長く、永く時間は繋がっていて。

合同合唱で参加した大学生のみなさん、さらにあのとき客席にいた人たちも繋がっているのだと思います。
そしてこれを読んでいるあなたも繋がっているはずなのだと、未来に。

 

 

(おわり)