合唱表現・私が歌う理由




見舞いに来ていただいた方から
本と2009年に休刊した「合唱表現」誌の
創刊号から休刊号までを貸してもらう。

私も何冊かは買った雑誌だが、
継続購読には至らず。
代表の松下耕先生には申し訳なく思う。

「合唱表現」誌、最初に休刊号から
手に取ったのだけど、
巻頭に掲載されている松下先生の
「合唱を支えるもの」と題した文が、
今自分が考えていることに重なっていた。

日本合唱界の、
さらに狭い世界での競い合いから、
グローバリズムへ。
日本に招聘する海外の合唱団と
それに必要な企業後援。
その一方、
「はこね学生音楽祭」を例にした、
地方で行政が支える
足元をしっかり見据えた文化としての合唱。

どちらも非常に大切なことだと思います。
そしてこの松下先生の文から6年以上経って、
現在の日本の合唱界はどうでしょう?


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さらに特集「私たちが歌う理由(わけ)」の
岡崎高校教諭:近藤恵子先生の 

一少女の「重い夏」から 

は必読です。
コーラス部に入った少女Sさんが
夏休み、ドイツへの家族旅行中に
交通事故で父を亡くしてしまう。
部を辞めさせて下さいと請うSさんに
近藤先生はこう言う。

「うん。気持ちは分る。
    でもやめてお父さんが
    帰ってみえるのならいいよ。
    やめてお父さんを忘れてしまいたいなら
    やめなさい。
    ずっとそうやって逃げてればいい。
    でも現実から逃げ切れるものではないし、
    大好きなお父さんを忘れられるはずがない。
    いつまでもそうやって逃げてないで、
    しっかり現実を受け入れて、
    辛くても歌うんだよ。
    お父さんを歌うんだよ」


近藤先生の必死の説得で部に戻ったSさんだが、
その時練習していた曲は
谷川俊太郎詩、松下耕作曲「あい」。

「あい  いつでもそばにいたいこと 
    愛  いつまでも生きていてほしいと願うこと」

ここまでくるとSさんは泣き崩れ
うずくまってしまうのが常だった。
「やっぱり私歌えません。
    皆に迷惑かけるのが辛いです」
岡崎で行われる音楽教育研究会の
全国大会の本番が迫る時期、
再び退部を請うSさんだが近藤先生は

「迷惑?とんでもない。
   みんなあなたのことを応援してるだけでなく、
   みんな歌えなくなるあなたから
   たくさんのことを学んでる」と伝える。
それでも
「私は何も歌えません」と泣くSさんに
近藤先生は
「詩の終わりを見てごらん」と言う。

「はるかな過去を忘れないこと
   〜くりかえしくりかえし考えること 
   愛  いのちをかけて生きること〜」

「繰り返しお父さんのことを思って
   命をかけて生きることを誓って
   立ってるだけでもいい。
   嗚咽がもれても構わん。
   舞台に立ちなさい!」


音楽教育研究会15分のステージ、
Sさんは泣き顔だったが崩折れることなく
最後まで歌いきった。
「あい」を最後にしたその演奏は大好評で、
近藤先生は全国の先生から質問攻めにあった。
「訳もなく泣けました」の声に
近藤先生はSさんの父上の話の後。

「Sの表情だけでなく、
   部員全員が愛ということ、
   限りある命を生きるということ、
   死は遠いことではなく誰にとっても
   隣り合わせにあるのだということ。
   そういう思いを全員がかかえて歌う『あい』は
   本当に心からの声で
   自分の言葉として歌えたから、
   お心にも届いたのかもしれません」


その詩、音楽を前にして
「歌えなくなるほどの想い」。
それほどの想いを想像できるだろうか。

コーラス部のみなさんは
Sさんが歌えないことから歌う理由を学び、
そしてSさん自身も遂に歌う理由を見つけたのでしょう。
感銘を受けたエピソードでした。

Sさんが今は歌われていなくても、
歌というもの、
合唱がまだ好きだったらいいな、と
心から願います。