合唱団訪問記の再掲。
今回は『松下耕先生・VOX GAUDIOSA団員の方々へインタビュー』第2回です。
(文豪の部屋HP掲載時 2002.2.5)
今回は、VOX GAUDIOSAの団員のみなさんと
松下 耕先生とのインタビュー風景をUPしてます。
「合唱団訪問記」
『松下耕先生・VOX GAUDIOSA団員の方々へインタビュー』
その2
<超多忙!な松下先生>
文吾 「先生は指揮される合唱団を増やす気はないんですか?」
松下先生「(驚いて)ボクぅ?!」
(文吾以外の人達には「んなバカなっ!」という空気が流れる)
文吾 「例えば大学とか。 松下先生なら喜んで振ってもらいたがる大学は いくらでもあると思うんですが・・・」
松下先生「大学というのはねえ・・・。難しい! ・・・ムズカしいッス!!」
文吾 「ムズカしいッスか(笑)」
松下先生「これ以上増えちゃうとねえ・・・。 今は(隣のしまこさんに確認して) 10? 10団体だって」
文吾 「10団体?!」
松下先生「でもね、10のウチ、藤沢ジュニア・コーラスは 『音楽監督』なので、常任指揮をしている他の団とは 少し事情が違うんだけど・・・」
しまこさん「体が、もう・・・(限界)」
松下先生「(うなづいて)
『2ヶ月にいっぺん行ってりゃいいや』 ・・・って合唱団はないんだよね」
文吾 「あ~。ご自分でちゃんと手をかけて・・・」
松下先生「(合唱団を増やせないのは) ・・・書いてるからね」
文吾 「は?」
松下先生「曲を書かなきゃいけないからね、僕は」
文吾 「あ~~~!(失礼しましたっ!!)」
松下先生「そんなに増やせない(苦笑)」
しまこさん「国立音楽大学でも教えていらっしゃるし…」
文吾 「そうですよね! ・・・良くやられていらっしゃいますねえ」
松下先生「その他にも合唱センターで教えてるでしょう。 あと、『教育音楽』に書いてるでしょう、毎月二つずつ。 あの『続ア・カペラのうたいかた』
あれが(力を込めて)まるっまる一日かかるんだよね。 丸ッまるいちんち!
・・・んなことしてるとねえ」
文吾 「(しまこさんの方を向いて) 増やしたい!…と松下先生が思っても 周りが止めちゃいますね」
松下先生「それでホラ、ねえ、合唱団の練習が終わったら飲みたいし!」
一同 「『飲みたいし!』って(笑)」
松下先生「家族サーヴィスもしなければいけないし、ね?」
文吾 「(あまりのスゴさに笑うしかない) …は~~~。 体がいくつあっても足りないですねえ!」
松下先生「でもね、今日見てもらっても分かったと思うんだけど。 気のいい連中たちに囲まれてるから。 それは有り難いねー」
文吾 「あ~。でも松下先生の雰囲気が団員と近い、というか。
呼び方も“耕さん”とか“耕先生“であって ”松下先生”ではないんですね」
しまおさん「私は(呼び方に)ポリシーがあって(笑)」 しまこさん「松下先生、とはあまり呼ばれないですね」
松下先生「ウチの大学のゼミ生ぐらいかな。 『松下先生』って呼ぶのは。
・・・T(GAUDIOSA団員の方)なんて 『松っちゃん』呼ばわりだからね。
見ましたぁ? アイツ?!」
(松下先生にまるっきり同等に話す方の話で盛り上がって)
松下先生「彼はね。 僕が大学の時、(当時)高校生だった、 同じ高校の後輩なんだよ。 5つも下の後輩!」
文吾 「え~?! お友達とか同級生と思ってました! …なんというか、ある意味スバラシイですね。 素晴らしいというか、・・・驚き、というか(笑)」
しまこさん「さすがに『松っちゃん』はねえ・・・(苦笑)」
<松下先生の音楽とは?>
文吾 「松下先生が指揮される合唱団の演奏って、 『観客に緊張感を強いない』という気がするのですが。 コンクールの場でも、リラックスして聞ける、というか。 なにか、こだわりはありますか?」
松下先生「こだわりねえ・・・。 チャランポランだからね、ぼくは(笑)」
一同 (笑)
しまおさん「やっぱりそれは松下先生のキャラクターじゃ…(笑)」
松下先生「前はコンクール否定派だったんだよ、ぼくは」
文吾 「あ、そうだったんですか!」
松下先生「というのは。 松山大会(1986年)の全国大会へ取材で行ったんだけど それで・・・気持ち悪くなっちゃって」
文吾 「あ~・・・」
松下先生「特に高校の部。 これでいいのか、と思って。 生理的に受け付けない部分があったんだね。 そのころは特に。 現在はそのころに比べると、(状態は)ずっと良くなったね」
文吾 「そうですか?」
松下先生「うん。昔より良くなったと思うな~。 『狭い範囲に押し込んでいる』、んじゃなくって。
情報がここ10年で物凄く増えたでしょう。 ヨーロッパの情報とかが。 やっぱり色々な情報から選んでいる、というのが とても良い状態になってきたんだと思う」
一同 同意!
松下先生「そういうわけで、 コンクールはどっちかというと否定派だったんだけども。 ちょっと違ってきたんだよね、考え方が。 それはコンクールへの考え方であり、出場の仕方であり。
・・・やっぱり(『緊張を強いない』等というのが) 『何かを狙ってる』…というんじゃないよね。
それがぼくの、自分の『やり方』なんだな」
森永さん「それがね。一番の理由だと思いますよ。 松下先生の姿勢が、そういう雰囲気を作っている、という」
文吾 「なるほど…」
森永さん「なにか(教科書みたいなものを掲げる手つきで) こういうのを『読み上げる!』じゃなくって。
全部、ご自分の言葉で語ってくださる、というのが」
文吾 「それは大変良く分かる気がしますね。
今回のGAUDIOSAさんは、ああいう選曲で コンクールらしくない雰囲気、もあると思うんですが。 Bグループのガイアさんは・・・」
松下先生「でもねー、どんな曲をやっても そういう(日本のコンクールらしくない)雰囲気に したいんだけどね。
全日本のコンクールは自由曲が8分半でしょう。 (選曲の組み立てなどが)作りにくいんだよね。 ヨーロッパのコンクールだと20分だから。
その中で、キチッとした曲と 楽しい曲と・・・色々入れられるわけだから」
文吾 「やっぱりハンガリーのコンクールとの違いが 松下先生の音楽観に影響しているんでしょうか?」
松下先生「それはすごくあるね。 選ぶ曲もあるし、審査の基準もそうだしね。 見るところをちゃんと見ている、というか…」
<松下先生の音楽の立ち位置>
(指揮者、作曲家、という立場でのお話から)
松下先生「やっぱり作曲家というのはね、 『声を究めて』とかそういうんじゃないんだよ。
作曲家は命を賭けて音符にするんだけども。 すっ、と曲から“離れて“いなければ 曲の構成が見えなくなってしまう。
冷静に見る、というか。 そういう面で(コンクールでは) そんなに成績が良くなかったのかも知れない」
森永さん「でも、そういう面で(音楽的に)見えてくる部分はありますよね」
松下先生「もちろんあるけれども。 でも、見えてこない部分も存在するんだよ。
それが今年になって、少し見えてきたかな、という。 すこーし、やっと、ね」
文吾 「・・・・。
作曲家の方が常に合唱団を 指揮されるというのは珍しいですよね」
松下先生「そうだね。 どっちかというと自分は『合唱指揮者』なんだよね」
文吾 「そうなんですか?」
森永さん 「この辺(関東近辺)では 『合唱指揮者の松下耕』なんですけど 地方に行くと『作曲家の松下耕』になるんですよ!」
文吾 「あ~(笑)」
しまこさん「プロフィールに書かれる順序では どっちが先がいいんでしたっけ?」
松下先生「合唱指揮者!
・・・で、作曲家」
文吾 「合唱指揮者、が先なんですか?(笑)」
松下先生「そっちの方がいいね。 …どっちでもいいけど(笑)。
音楽之友社から出している『音楽手帖』。 あれに作曲家や指揮者、って名簿が載ってるじゃない。
ぼくが最初に載ったのは数年前なんだけど それで、一生懸命『合唱』の項を見てたら無いわけ。 自分の名前が。
『え? ぼくってどこに載ってるんだろう』と 探したら『作曲家』の項に載ってる。
『あ~、ぼくって作曲家なんだ!』ってね」
文吾 「(笑) ショックだったんですか?」
松下先生 「やっぱり作曲家なんですけどね…。
でもね、『合唱家』、って言葉はないでしょ?」
文吾 「その通りですね!
話は変わりますが・・・。 シンフォニーとか、そういう音楽を書かれる気持ちは 松下先生の中に無いんですか?」
松下先生「昔はちょっとあったけど・・・。 でも今は強く思いませんね。
合唱の世界に入って。 間口は広いわ、奥も広いわ深いわ、で。 大変な世界に入ってしまったので 他の曲は書いている時間が持てないんですね。
他のジャンルの曲も書きたいけれど、 時間がある限り、合唱の奥の深さを、 少しでも勉強しなければいけない、 と思う気持ちの方が強いんですよ」
<指揮法と“型”>
文吾 「…指揮法も、他の指揮者の方と比べて 発声をイメージさせる指揮、というか・・・。 斉藤メソッドの指揮法とは違ったような」
松下先生「『斉藤メソッド』の指揮法をすべて 合唱に応用することは難しいのではなかろうか、 ・・・と私は思っております」
文吾 「それはどういうことでしょうか?」
松下先生「あのね、面白い話をしようか。 僕ねえ、ハンガリーに留学してたでしょ? その前に『斉藤メソッド』を学んでたんだよ」
文吾 「え? そうなんですか?!」
松下先生「そう。『高階正光』門下だったの。 ハンガリーでも、その教えに従って レッスンを受けたわけだけど…。
(斉藤メソッドの指揮法は) 『なんでそんなことが出来るの?!』という場合と 『なんでそんなことが出来ないの?!』 という二つの場合があるわけ」
文吾 「出来ない場合もあるんですか?」
松下先生「例えば、斉藤メソッドというのは 古典派以降のオケの作品を振るには適してるんだけど。 ルネッサンス・ポリフォニーには対応してないでしょ?」
文吾 「あ~!(同意)」
松下先生「だから僕が大学で教えてるのは斉藤メソッドじゃなくて ほとんどポリフォニーの振り方」
文吾 「そういう異なる視点があると、とても勉強になりますね…」
松下先生「考え方を変えると、日本人ってとても “型”を大事にするわけ。 お茶でもお花でもそうでしょう? 柔道も剣道も相撲も、だよね。
それで、指揮法も“型“から入って。 『斉藤メソッド』を学んだ人はスゴイきれいなんだけど。 ここから(ひじを指し)先が別物みたいな人もいるわけ」
しまこさん「機械を先に付けているような・・・」
松下先生「そうですね。 ハンガリーはね、メソッド、というものを とても柔軟に解釈しているように思うんですね」
文吾 「こうだったら、こうする、みたいな 絶対的な強制力が無いんですか?」
松下先生「そう。基本的な振り方は教えてくれるんだけど。 歌も習っていたんだけど、自由なんだよね。 まず『やった事を認める』というか。
そうするとね。 『全員違うもの』ができあがるわけですよ。 日本でやると、ややもするとみんな 同じなものになっちゃうんだよね」
文吾 「鋳型にはめる、というか・・・」
松下先生「うん。 それを考えると、メソッドってなにか、と言うのがあって。 例えば海外のコンクールでは 『斉藤メソッド』が評価されるんじゃなくて 指揮者がどういう音楽を持っているか、でしょう?
だから僕はコバケン(小林研一郎)とか好きなの。 情熱的でね」
文吾 「佐渡裕とか」
松下先生「佐渡さんもいいんじゃない? なんかこう、“伝わってくる“、ってのがすごく…(いいと思う)。
もちろん(指揮などの)“型”も大事だし、 それによって(音楽が)伝わり、倍増する部分があるから。 それは勉強していくべきだと思うんだけど。
『誰かに言われたから』…ではなくて 『自分』が、こうしたい、なにをキレイに思うか、が どう伝わるかということが大事なんじゃないかな」
文吾 「先ほども言われた 『音楽を表現するための杖』にしかすぎない、 …と言うのと同じですね」
松下先生「そうそう。 後はその指揮法をベースにして、 どうアレンジしていくか、 どう“自分のもの”にしていくかが大事だと思うな」
文吾 「大変貴重なお話を聞かせて頂いて とても勉強になりました。 今日は長時間、本当にありがとうございました!」
(おわり)
<お話をお聞きした後で>
いやあ、なんというか…。 たいへんサーヴィス精神あふれる松下先生の話しぶりで、 こちらも非常に楽しく、興味深くお話をお聞きすることが出来ました!
お話の中で『音楽を表現するための杖』という言葉があって それが大変印象深かったのですが。
単にいわゆる「技術」を、 「杖」と言い切るだけではなく。
今回のお話でも分かるように、「杖」とまで言うために 例えば「純正調」にしても、その利点や問題点を さまざまな角度から鋭く、深く見据える視点と探求心に、 本当に感心してしまいました。
一面だけから物事を見ることなく、 多方面から物事を掴み、本質を理解しよう、という 松下先生の心のあらわれ。
私も、まったく及びませんが、 これから少しでも身につけたいと思っております。
改めて、貴重なお話、ありがとうございました!
文吾 記
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