合唱団訪問記:雨森文也先生へのインタビューその1

 

 

合唱団訪問記の再掲。
今回は雨森文也先生へのインタビューを掲載いたします。
全7回、お楽しみください。

(文豪の部屋HP掲載時 2002.4.23)

 

 


 合唱団訪問記の再掲については下記の記事をご参照ください。

bungo618.hatenablog.com

 

 

 

 

 

合唱団訪問記 

 

第21話

 

 

雨森先生、産まれる前からの

 

お話?!

 


「合唱団訪問記」

 

 『雨森先生へのインタビュー』

 

その1

 



<文吾より>

 本当は「CANTUS ANIMAE」さん再訪記…と記すべきなんでしょうが
今回は練習の模様ではなく、CAさんの練習後、
指揮者の雨森文也先生に色々とお聞きいたしました。

 録音したテープを何度聴き返してみても
思わず笑ってしまったり、
「…じ~ん」と来てしまうインタビューでした!

 雨森先生個人について、だけではなく
全ての合唱人(特に地方で頑張っておられる方々)に
勇気と、前向きになれる力を
与えて下さるお話だと私は思っています。


 それではどうぞ!!

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 『雨森文也』(あまもりふみや)
 1959年生まれ。名古屋大学経済学部卒。指揮法を黒岩英臣、
ピアノを立川のぶみの各氏に師事。銀行へ12年間勤務の後、
1997年より合唱指揮者として独立。現在は、合唱団まりもあ、
CANTUS ANIMAE他合計8団体の常任指揮者または
音楽監督をつとめている。全日本合唱コンクール全国大会で
通算12度の金賞を受賞。日本合唱指揮者協会会員。

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 雨森文也先生インタビュー。

 2002年1月24日の練習終了後、
CANTUS ANIMAE行きつけの飲み屋さんにて。
(先生はお酒を飲むと頭が痛くなるお方なので、
 私もお付き合いして、お茶を飲みながらのインタビュー)


<雨森先生の音楽生活の始まり>

文吾  「先生は岐阜県の大垣東高校出身だったんですよね。
     合唱も、高校時代から?」

雨森先生「それなんだけどね・・・。
     どこから話せばいいものか、と考えていたんだよ。
     “合唱”に至る過程をね」

しげさん 「大垣城でキスした話は…」

一同 爆笑!

団長さん「それは知らないなぁ(笑)」

文吾  「スイマセン編集大変なんですからっ! 抑えてぇ~。

     合唱のはじまり、ではなくても
     音楽を始めるきっかけを話していただければ…」

雨森先生「きっかけ、ねえ・・・」

文吾  「産まれたとき、初めて聴いた音楽が合唱だったとか(笑)」

雨森先生「いや。自分は
    『合唱だけはやるまい!』って思ってたんだよ」

文吾  「え? そうなんですか?!
     …ピアノから音楽を始められたんでしたっけ」

雨森先生「最初はヴァイオリンなんだよ」

文吾   「あ、ヴァイオリンだったんですか…」

雨森先生「3つぐらいからかな・・・。
    4才の時に鈴木メソッドの発表会で弾いてるんだよ」

じゃい子「そのまま続けてたら人生変わったかもしれないのに…」

文吾  「オマエが言うな(笑)」

しげさん「『さだまさし』になってたかもしれませんねっ!」

雨森先生「(苦笑して)
     あのね、親父ってのがお寺の息子だったんだよ。
     お寺だから西洋音楽に無縁じゃないか。

     でも中学の時にすごく良い先生と出会って。

     親父はピアノを弾きたかったんだけど、
     お寺にはピアノが無い。
     そうしたら、その先生は
     『自分が遅くまで学校にいてやるから』と言って、
     毎晩9時10時まで、親父に学校でピアノを
     練習させてやったんだね」

文吾  「ほ~。(感心…)」

雨森先生「そう言うわけで、親父は中学校からピアノを始めて。
     さらにおふくろとも、
     ピアノの教室で知り合ったらしいんだけど・・・。

     まあだけど中学校からピアノを始めたなら、
     そんなに上達しないじゃないか。

     で、高校の時に音楽が本当に好きになったんだけど
     技術がついていかない。

     それで大学進学の時、昔は名古屋大学の文学部に
     『音楽美学科』というのがあったらしいんだな」

文吾  「今は無いそうですね…」

雨森先生「うん。
     親父は評論家になろうと思って、そこに入ったんだって。

     でも結局、お寺の方の両親に反対されて
     途中で転学して、会社員になったそうなんだけどね」

文吾  「はぁ~」

雨森先生「そして昔のピアノ教室での “つて” で
     おふくろと結婚して、まあ
     音楽につながりがある同士の家庭ができたわけだ」

文吾  「そして雨森先生が産まれたと!」

雨森先生「そう、そこで最初にできた
     不幸な子供がオレだったわけだ」

文吾  「(笑) 不幸なんですか?!」

雨森先生「や。親父はね、中学から音楽の良さに気づいたわけじゃないか。
     それで
     『子供が自分で、音楽の道に進もう、と
      気がついた時から目指しても遅い。
      趣味にはできてもプロにはなれない。
      だから、その音楽で生きていけるようにするのは
      “親の務め”だ!』

      …って、3才から僕にヴァイオリンをやらせたんだよね。

      『こいつは音楽家にする!
       自分の果たせなかった夢を!!』

      と、思ったらしい」

文吾  「へぇぇぇぇ~!」

雨森先生「それで、2年ばかりヴァイオリンを習っていたんだけど
     鈴木メソッドの先生が、住んでいた大垣から
     いなくなっちゃったらしいんだな。

     まあ、おふくろもピアノの先生だったので
     『ピアノでもやらせるか』ってやり始めて。

     それも中途半端じゃダメだから、小学校2、3年生ぐらいから
     音大ピアノ科の先生に習って。
     それも毎日毎日、星飛雄馬(『巨人の星』!)のごとく
     ピアノに向かわさせられてさ」

文吾  「毎日3時間4時間…?」

雨森先生「そ~うですよ!
     毎日毎日3時間4時間!!
     土日は一日中ピアノの練習で…。
     ピアノピアノピアノっ!!!

     ボールは触らせてもらえないしさ。
     暗い少年時代を過ごしたんだよね。

     今考えると親父の教えは間違ってなかったんだけど。
     結果的に僕は
     ピアノがすっごい嫌いになっちゃったわけ!」

文吾  「結果的に(笑)」

雨森先生「そう、イヤでイヤでしかたが無かった。
     そのままピアノを続けて中学校に入ったんだけど
     その中学校にはブラスバンドがあったんだよ」

文吾  「ほぅ!」

雨森先生「その頃は岐阜県で3本の指に入るぐらいの
     ブラスバンドで。
     朝昼晩、土日も練習するような。

     そこで僕はピアノから逃げたかったんだろうなぁー。
     ブラスバンドに入って、トランペットに配属されるなり

     『ヨシ! おれは “自分の意思で” トランペットをやる!』
     って決めて。

     入部した翌日に
     『おふくろ! トランペット買ってくれ!!』」

文吾  (笑)。

雨森先生「それからはもう、365日朝昼晩、トランペットを練習して。

     それでピアノを練習する時間が無くなるくらい
     トランペットを練習したわけ!

     親にもピアノを練習する時間は無い、って言って。
     ピアノの先生からも自然と遠ざかって。

     中学2年の時の文集にも
     『ぼくは将来オーケストラに入って
      トランペット奏者になる!』
     って書くぐらい、のめり込んで行って」

文吾  「今度はトランペット奏者として(笑)」

雨森先生「うん。
     それから卒業して、ブラスを続けよう!と思って
     高校に入学したんだけど、
     その高校にはブラスバンドが無かったんだな」

文吾  「無かったんですか?!」

雨森先生「新設校だったんだよ、その高校は。
     僕が2期目で、上級生が1学年しかいなかったんだね。
     これから色々揃えていく、という環境では
     ブラスバンドなんてあるわけが無い。

     それで大垣市の市民吹奏楽団に入ったんだけど
     どうも物足りない。

     同じ高校に中学時代のブラスの友達も
     何人か来ていて。

     『この高校にブラスバンドを作ろう!』
     …と友達に声をかけたんだよ。

     その高校には既に音楽部があって、
     女の子が数人、歌か何かやってたんだけど
     ちゃんとした活動もしていない。

     それで
     『あれを乗っ取ってブラスバンドにしよう!』」

文吾  「『乗っ取る』?!」

雨森先生「うん(笑)。
     そういう目的でブラスバンドの時の友達を
     何人か誘って音楽部に入部したんだよ。

     そして音楽部の顧問の先生に頼んで。
     ブラスバンドをやりたいから楽器を買ってくれ、
     と、職員会議にかけてもらったら。

     『とんでもない!
      新設校でこれから校舎を建てねばならないこの状況で
      楽器なぞ買うのはまかりならんっ!!』
      ・・・と門前払いさ!」

文吾  「そ、そりゃまあ、そうですね(苦笑)」

雨森先生「それに住宅街にあった高校だったから
     楽器で騒音を出すのも問題だ、というのもあったらしい」

文吾  「はぁ~・・・」

 

(その2へつづきます)