合唱団訪問記:雨森文也先生へのインタビューその2

 

 

合唱団訪問記の再掲。
第2回は雨森先生が高校で合唱を始めるお話。
地方でゼロから合唱部を立ち上げるような学生さんに
希望を与えるエピソード。
是非とも読んで欲しいと思います。



(文豪の部屋HP掲載時 2002.4.23)

 

 

 

 

 

合唱団訪問記 

 

第22話

 

 

合唱をはじめた雨森先生は・・・・。

 


 

「合唱団訪問記」

 

 『雨森先生へのインタビュー』

 

その2

 



<雨森先生、合唱へのスタート>


雨森先生「それで『ブラスができないなら辞めようか』、と
     退部しようとしたら。そしたら!」

文吾  「そしたら?」

雨森先生「乗っ取ろうと思った音楽部の女の子7、8人がだね。
     『アンタたち、勝手に入ってきて
      あれやるこれやるって勝手に言ってて
      それでやりたい事ができなかったから
      すぐ辞めるってワケ?!』って言われてさ」

文吾   「女の子達が(笑)」

雨森先生「そう。
     それでも友達はブラスやれないなら、って
     みんな辞めちゃったんだけど。
     まあ僕は男だてらにピアノも弾けたしさ。
     『なんかやってよ!』…って言われて」

文吾  「なんかやってよ!って(笑)」

雨森先生「新設校で、音楽の授業はあったんだけど
     非常勤の先生がいるだけで、
     音楽専任の先生がいなかったんだね。

     だから部活も満足に見れる先生がいない状態で。

     『雨森君、ピアノ弾けるなら教えられるでしょ!』ってね。

     ・・・んで、仕方がねえなぁ。じゃあ何やるか。

     『…楽器無いなら歌しかねえじゃないか!!』って」

文吾  「うはははは(爆笑)」

雨森先生「しょうがないからさ、一番最初は
     女の子8人の女声合唱!」

文吾  「え、先生が指揮したんですか?」

雨森先生「そう。
     僕が指揮してピアノ弾いて・・・。
      
     それが僕の合唱の一番最初のスタート!」

文吾  「・・・すごいスタートですねえ・・・」

雨森先生「高校1年生の3学期の始まり、冬だったかなあ。

     だけどね。僕も女の子達に条件出して。  

     『やるからにはチンタラやるのイヤだから、

     ちゃんとやろう!!』って」

文吾  「ほ~~~」

雨森先生「それから2年生になって、新入生が入ったんだけど
     結局14人にしかならなくて。

     それでも
     『僕の目の黒いうちに、この学校を岐阜県一にしよう!』
     と思ってね」

文吾  「・・・そう思うところが、スゴイですね(笑)」

雨森先生「(笑)。いや、そうじゃなきゃやらない!
     そこまでやるつもりはないだろう?って
     女の子達に言ったら
     『いや、やるっ!』・・・って」

文吾  「へぇ~」

雨森先生「たまたまね、僕が恵まれていたのは
     親父が大学時代、男声合唱団に入っててさ。

     そしておふくろの弟ってのが、立命館大学で
     これまた男声合唱をやっていて。
     その人が太田さんと言うんだけど、
     男声合唱の他に、立命館と他の大学との混合の
     混声合唱の指揮者をやった経験があったんだな。

     それから僕が合唱をやりはじめてから、毎日毎晩
     その人の家に入り浸って。
     『合唱の練習は何から始めれば良いか?』
     …と言うことを、その太田さんに教えにもらいに行ってたわけ」

文吾  「おいくつぐらいだったんですか?」

雨森先生「僕が16で、太田さんは35、6だったかなあ。
     銀行員で一番忙しい時期だっただろうに、
     疲れた太田さんを掴まえて、
     毎晩毎晩2~3時間教えてもらって・・・」

文吾  「どういう教えを受けたんですか。
      テープを流しながら、とか・・・」

雨森先生「うん。
     『今日はどんな練習をやったのか』とか
     例えば、今練習している曲で
     『どんなことを大切にしなきゃいけないか』
     ・・・とかね。

     それから自分でも指揮法が重要だと思って
     斎藤秀雄の指揮法教程の本を買ったりね。

     後は発声の本もあるだけ買ってきて読んで。
     …何冊ぐらい読んだかなぁ。10冊ぐらいかなぁ…。

     とにかく、入れられるだけの知識を入れながら
     『自分がいる間に
      絶対この高校を岐阜県一にしてやる!』 …って」 

文吾  「・・・スゴイですね・・・」

雨森先生「それで14人の女声で高校2年の時は、Nコンに出てさ。
     結果は全然ダメだったんだけど」

文吾  「その時の演奏曲とか、覚えていらっしゃいますか?」

雨森先生「なんだったかなあ・・・。
     …高田三郎の『機織る星』だ!
     『遥かな歩み』の」

文吾  「ほ~!」

雨森先生「それで高校3年生になった時、
     みんなに『混声にしよう!』って言って。

     運動部の男の生徒をなんとか8人だったかなあ。
     うまくダマくらかして(笑)。
     全部で32人の混声合唱にしたんだよ」

文吾  「なんとか混声合唱に!」

雨森先生「そう!
     その頃、岐阜県では多治見北高が強くてさ。
     紙に僕が赤色で
     『打倒! 多治見北!!』って書いて音楽室に貼って!」

文吾  「(笑) 昔からそんなに熱血だったんですか?」

雨森先生「そらね、もう、スゴイ練習したよ。昔は」

文吾  「毎日どのくらい練習したんですか?」

雨森先生「そりゃ朝昼晩!」

文吾  「朝昼晩?!(笑)
     学生指揮者で??!!」

雨森先生「『じゃなきゃやらない!』って言ったからね」

文吾  「『じゃなきゃやらない!』って・・・(苦笑)」

雨森先生「朝は7時半前から始めて、8時半まで。
     昼はメシ食って30分ぐらい。
     夜は少なかったな」

文吾  「少ないと言うと・・・」

雨森先生「16時から18時までの2時間ぐらいかなあ」

文吾  「…充分のような気が・・・。スゴイですねぇ」

雨森先生「それで、全日本のコンクールで
     県で1位じゃなかったけど、
     2位の順位で中部大会に行けたんだよ!」

文吾  「ほぅ!」

雨森先生「中部大会ではさすがにダメだったけどね」

文吾  「その時の曲目は・・・」

雨森先生「大中恩の『島よ』の3、4曲目だったな。
     それで僕も卒業になったんだけど、
     1番になれなくて悔しくて。

     名古屋大学の某合唱団(混声)にも入ったんだけど、
     やっぱり物足りないワケ。
     こんなところへ行ってもつまらないな、と
     1年の頃は大学にも行かずに毎日朝昼晩、高校へ!」

文吾  (笑)。

雨森先生「その時は男声も増えて12人になって
     全部で40人以上になったのかな。
     その年のコンクールもOBの僕が振って
     岐阜県で1位のコンクール大賞を取ってさ」

文吾  「! (拍手!!)」

雨森先生「その時はね。
     中田喜直の『神話の巨人』(『海の構図』より)と
     廣瀬量平の『航海』(『海の詩』より)にしたんだ。

     …なんでそういう選曲にしたかというと、
     その時の課題曲が團 伊玖磨の『七里ヶ浜』だったんだよ。

     だから『海』でまとめようかな、と(笑)」

文吾  「大学一年生にしてはヤラしい、というか(笑)
     凝った選曲ですねぇ~~」

雨森先生「(笑)。それでも中部はダメだったんだけどね。

     そのコンクールが終わった後、
     教頭に呼ばれてさ。

     僕の入っていた高校は、入学式に
     『1日5時間勉強しろ!』なんて言われる進学校で。
     他の上位の高校に、勉強を追いつき追い越せで躍起に
     なっている所に、OBが来て、部活を煽ってると。

     『一生懸命やってくれるのは有り難いけど、
      ウチは進学校だからねェ。
      もっとわきまえてくれないと』…って言われてさ。

     『ぷちッ』と来て。

     『じゃあもうやらねえっ!!』」

文吾  「・・・え?」

雨森先生「で、辞めた」

文吾  「辞めたんですか?! 早っ!!
     …もうちょっと交渉とか、そーいうの・・・」

雨森先生「で、辞めて」

文吾  (せんせぇ、話を聞いてくださーい!)

雨森先生「それで名古屋大学の某合唱団には
     籍だけ入れてたわけ。
     最初の何回か行って、後は練習に行ってなかったんだけど。
     で、戻って、周囲から。

      『おまえにはやっぱり指揮者をやって欲しい』と言われて。
     それで指揮者選挙に立候補させられ、指揮者になったんだね」

文吾  「2年生のとき、ですか?」

雨森先生「うん。

     …僕はとにかく、いい加減にやるのがイヤだったから。
     今は、東京工業大学コール・クライネス
     (他大学学生との混合合唱団)でもコンクールの
     大学部門に出れるけど。

     昔は出れなかったんだね」

文吾   「え? なぜですか??」

雨森先生「(当時は)一般部門扱いになってしまうんだよね」

文吾  「はー」

雨森先生「それで入っていた某合唱団も、
     男声は名大生だけど
     女声はみんな名古屋地区の
     色々な所から集まってきていた混合の大学合唱団だから。
     一般の部にしか出れない、というわけで
     コンクールには出ていなかったわけ。
     それで僕は

     『いいじゃないか。
      学生だけに固まって戦うんじゃなくて、
      一般の大人に挑戦して勝ちゃあいいじゃねえか!』…って言って」

文吾  (笑)。

雨森先生「で、指揮者になったその年にコンクールの一般部門に出て。

     1位がクール・ジョワイエ。
     2位がノイエ・ゲブルト。
     それで3位が名古屋大、だったんだよ。

     中部大会には行けなかったけど、それなりに手応えはあったわけ。
     ウチより下位の団体もあったしね。
     『やればできるじゃねえか』って。

     で、次の年もコンクールに出ようとしたんだけど。
     ・・・大学の合唱団って必ず“総会”をやるじゃないか」

文吾  「やりますね!」

雨森先生「その総会前に、スタッフ内では『出よう!』
     …ということになってたんだけど。

     団員に聞いたら
     『出たくない』…って言うわけ。

     僕は
     『コンクールに出るための特別練習もしないし
     通常の練習の中でやるよ』と言ってるのに。

     なんで出たくないか、というと。
     『練習が厳しくなるのがイヤだ』って」

文吾  「うわー」

雨森先生「『そこまでして音楽したくない』とか言われて。
     んで

     『ぷちッ』ときて!」


一同 大爆笑(笑)。

文吾  「またですかっ?!(笑)」

団長さん「キーワードは『ぷちッ』だ!(笑)」

雨森先生「…総会が終わった瞬間に辞めた」

 

文吾  「は、早い~~。
     …ちょっと怖いんですが(苦笑)。

     そのとき、瞬間的に温度が上がったんですか?
     それとも前々から積もり積もるものが…?」

雨森先生「いや、前の年のコンクールでもね。
    『愛知県大会に出るのは良いけど
     中部大会には出たくない…お金がかかるから』とか。

    なんだコイツら? とか思ってて。

    それで次の年に『練習の内容が厳しくなるのがイヤだ』
    …だろう?

    『そんな音楽をナメてるようなヤツラとはもうしない!』
    それで
    『サヨナラッ!』」

文吾  「…『サヨナラ』(苦笑)」



(その3へつづきます)