ビバ!合唱の聞き逃し配信:「バルトの歌声 その2~ラトビア編」
最初に流れる、自分も好きなあの名曲「Pūt, vējini!(風よ、そよげ)」の歌詞は……
「飲んだくれの男が婚約を破棄されてグチる」
と聞いて愕然。
まさかこの美しい曲がこんな詩だったとは・・・
調べてみると
風よ、そよげ
風よ吹け 小船を押して
俺をクルゼメまで運んでおくれ
クルゼメの女主人は
自分の娘を嫁にくれると約束した
約束はしっぱなしで
俺が飲んだくれだっていいやがる
飲んだくれの俺が子馬を荒く乗り回して
だめにしちまったって
どこの飲み屋で飲んで 誰の子馬を
だめにしたっていうんだ
俺は自分の金で飲んで
自分の子馬を走らせたんだ
娘は嫁にもらったさ
親には知らせてはいないがね
風よ 吹け 小船を押して
俺をクルゼメまで運んでおくれ
訳 黒澤歩(ラトビア語翻訳家)
最初は笑ってました。
「えっ、ラトビアの人たち、これを“第二の国歌”って本気で言ってるの!?」と。
でも、その直後。番組ナビゲーター・戸﨑文葉さんのコメントが心に刺さります。
(この曲は)ソ連の支配下、自由にものが言えなかった時代に「自分のしたいことをして何が悪いのか?!」という反抗の精神が込められています。
「えーっ?!」
驚いて調べたところ、ラトビア国歌である「Dievs, svētī Latviju!(ラトビアに幸いあれ)」がソ連支配下によって歌うことが禁じられていたため、「ラトビア」という単語が出ていない古くからの民謡「Pūt, vējini!」が、非公式なラトビア国歌として歌われ続けたと。
(参考リンク)ラトビア公共放送:なぜ私たちは「Pūt, vējiņi」を歌うのか?
その後に戸﨑さんが紹介されたラトビア人の作曲家:Pēteris Vasks(ペーテリス・ヴァスクス)「静寂の歌」の詩も、ソ連の支配下で書かれた詩であり。
詩人たちは反ソビエトの活動を理由に国や教育機関から追放され、厳しい監獄の独房に閉じ込められ、比喩や暗示を使って表現するしか方法がありませんでした。
……ということ。
「Pūt, vējini!」が歌として最初に記録されたのは200年以上前ということですから、そういう比喩で書かれたとは考えづらいですが、自由にものを言えないラトビアの人々がこの曲に託したものを想像すると。
《風》は自由や希望
《船》はラトビア民族や国家
《破れた恋》は、ソ連による文化的・政治的抑圧で失われた自由やアイデンティティへの郷愁
つまり、ソ連という嵐の中でラトビア民族と国家の独立と自由を願う……そんな想いを託して歌っていたのかも?
また、支配下では元々の文化を下等なものと蔑むことから「勝手に飲んだくれとか酷いレッテル貼るんじゃねぇ!」 そんな怒りが含まれているのかも?
それすら、文化や民族の誇りを傷つけられた痛みと重なるように思えてきます。
ふたたび戸﨑さんのコメント
ソ連の支配下でラトビア語を話すことが禁止されていた時代、ラトビアの人々は歌によって自分たちの言語を守り、国の文化と伝統を受け継いだと言います。
彼らにとって歌うことは生きることの証しであり、アイデンティティを守る手段でした。
さらに作曲家のVasksはこう語ったそうです。
作曲家は希望のない音楽を書いてはいけない。
悲しく悲痛な歌にも必ずひとすじの光が含まれている。
Vasksの「Pater Noster(天にましますわれらの父よ)」は胸に迫り、かすかな希望の光を感じさせるとても良い曲だし、ラトヴィア放送合唱団の演奏も素晴らしいので、ぜひ聴いて欲しい回。4月27日までの放送です。
最後に、ふと思ったのです。
もしも、どこかの国に支配され、自由を奪われた日本人がいたとしたら。
「自由」を、どんな言葉に喩えるのだろう……?
4万人が集まったラトビア・リガ「歌と踊りの祭典」で歌われた「Pūt, vējini!」