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八村義夫氏の著書からの引用(CANTUS ANIMAE紹介文より)

 

 

八村義夫氏の著書

「ラ・フォリア 
 ひとつの音に世界を見、ひとつの曲に自らを聞く」から

CANTUS ANIMAE団員:Mariさんによる引用です。

 

 

 

~作曲という行為は、
意識下の情念が露出しているような表出を、
音にあたえることにある。
深層心理につきささっていくような表現を得たいと、
私は思いつづけて来た。
私の、音楽によせる気持ちは、
もっぱら主情的なものから出発してゆく。
とおりいっぺんの日常性や共有性を拒否し、
指向性の強いアンテナのように、
個人的な、
そして根源的に人の本性に触れる音楽をつくっていきたい~
【扉裏掲載文全文】




~ホロヴィッツの演奏は、
十重二十重に巧妙に張りめぐらされた
「イレギュラリティ(不規則性)」の
集積による企みだという気がする。
音高を除く、音楽上の各パラメーター
(音長、リズム、ダイナミック、テンポ等々の各要素)の、
心理上の盲点にばらまかれている不規則性、
及びその相乗作用。
盲点に対しての配置の的確さが、
極限に張りつめた緊張状態を産み、
聴き手の生体系の、
日常のリズムの規則性に
目もくらむような昂揚感となって
激しく襲いかかってゆく原因になっているのではないか。
そして、彼の演奏に、
なにか「瞬間の連続」の印象が在るのは、
そのためではないだろうか。(中略)
「イレギュラリティの心理的な企み方」、
且つて私が盗みの対象としたのは、
その一点に係っていた。~
【異形者の指 ウラディミール・ホロビッツ】より




~突発的に動き出す声部進行、
フレーズの切れ目における音の選択の異常さ、
どんな細部にも感じられる精神の緊張、といった
微視的に異様な音感覚の連鎖によって、
ジェズアルドは、多分、音楽史上最初の、
アウトサイダー作曲家
ーーアウトサイダー性が最もむきだしにされたーー
としての栄誉をになう。(中略)
周知のごとく、音楽は時間芸術である。
それゆえ音楽体験は二通りになされていく。
刻々と生起してゆく音を
聴覚がたどってゆくミクロ的音楽体験と、
音が終わった後、
心の中に再構築されるマクロ的音楽体験とである。
ノーマルな音楽体験のあり方としては、
マクロ体験はミクロ体験の累積の上に構築される。
例をあげれば、バッハの《マタイ受難曲》を聴くとき、
人は瞬間瞬間に生起してゆく音の甘美さに息をのみつつ、
大きく深いマクロ音楽体験へと至っていく。
一方、音楽家側からいえば、
その裏側がマクロに通じることを念じつつ
ミクロを発想していくこととなろう。
そしてジェズアルドやホロヴィッツのような
アウトサイダー型ーーコリン・ウィルソン式定義におけるーー
音楽家においては、
その音楽の与えるミクロ体験の異常さが
マクロ体験の構築部分としての機能を上まわり、
累積としてではなく、
ミクロの連鎖そのままの姿で、
マクロ体験へとつながってしまうと考えることが出来よう。
彼等の音楽が全体像としての形を示すことより先に、
より裸の姿で一挙に聴く人の深層心理に
突き刺さってしまうのも、この理由によるのである。

二十世紀初頭にシェーンベルクが現れるまで、
西洋の音楽は、常にミクロ側からなされていた。
創作者は創作過程において、
フォルムという外的規制や音楽素材の操作という
内的発展をマクロへの紐帯として利用しつつ、
マクロ体験へ至るべくミクロ発想を累積していった。
そして、それが大きな全体像として
マクロ体験を与える作品となり得るか否かは
いってみれば神の手にゆだねられ、
この創作過程は聴覚を要する
時間芸術たる音楽にとって自然な姿であった。(中略)

シェーンベルク以後の西洋音楽は、
「トータル・セリエール」、「偶然性」、
「確率音楽」……というように、
新しいマクロ理念の生起として常に説明され、
解釈され続けた。
しかし、それは性急すぎ、
創作者固有の息づかい、音のさぐり方、
すなわちミクロ発想に眼をむけていない
単なるレッテル付けのように私には感じられる。
文筆に不慣れなため、
論旨透徹を欠くことを恐れるが、
ここで私自身のささやかな態度表明を
許していただけるならば、
私の音楽は、私の心の深層の表出でありたいがために、
当然、全的に、ミクロ側に立つことになる。
日常の時間と係りのない、
心の深層の領域が創り出し支配する時間、
これが、私のマクロ規定であり、
その中に、私自身の意識下の呼吸を聴きとり、
誤りなく定着させること、それが、私の創作行為であり、
又、私が音楽家として、ひいては呼吸する生物として、
私の音楽の中に生きるということになろう。~

【ジェズアルドとホロヴィッツーーマクロ理念とミクロ発想】より

 

 

 

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