歌詞改変「いざ起て戦人」を巡る

 

 

こないだのPalette演奏会の打ち上げで歌われていた「いざ起て戦人」(作曲:グラナハム)を聴いていて違和感がありまして。
なぜ違和感を抱いたかと言うと・・・元の詩とまったく違う!

勇ましくなく平和な歌詞に換えられているのを聴いて疑問が浮かびました。
この改変された歌詞はどこから生まれたのだろう?
四国の合唱団のジョイントコンサートだから愛媛大学合唱団さんあたり?
検索したがやはりわからない。
どなたかご存じの方、いらっしゃいませんか?


ネットで尋ねたら、ご親切にも作曲家の周藤諭(すとう さとし)先生から

 

「楽しき歌声」ですね。

 

とご回答をいただきました。周藤先生、ありがとうございます!
「楽しき歌声」で検索したところ、このYouTube演奏が。

 

おお、このなじみ深い旋律!
なるほど、「いざ起て戦人」とは歌詞が全く違いますね。
楽しき歌声 我らが集い 来たれよ若人 公孫樹の木陰

周藤先生には「楽しき歌声」が掲載されている「ニューヒットコーラス : クラス合唱曲集 : パール版」へのリンクも教えていただき。

 

 

 

さてこの「楽しき歌声」、「いざ起て戦人」と併せて検索すると、更に面白いものが見つかったのです。

http://tohokudai-danseiob.net/members/icontents/tanoshiki_arai2007.pdf


↑ のリンクは東北大学男声合唱団さんの初代男声学生指揮者:仁科博之氏が「いざ起て戦人」の歌詞を変え、「歌え若人」という曲名にしたのだとか。
歌詞改変の理由については

「当時は終戦間もない(1950年頃)時であり、厭戦感情もあって『いざ起て…』はなじまなかった。
 歌の『公孫樹の木陰』は片平キャンパスの公孫樹をイメージした。」

と仁科氏は作詞の経緯をお話しされたそうです。
なるほど、勇ましさが一切感じられない歌詞は、終戦間もない頃の厭戦感情に由来するものだったのか。
(※周藤先生からは、東北大学男声合唱団、さらにOB会でも多大な功績を残された仁科博之氏の記述が多くある東北大学男声合唱団OB会ホームページも教えていただきました)


これはなかなか面白い結果が出たぞ。
愛媛大OBでもあるぜんぱくさんに、Palette打ち上げで聴いた歌詞改変版は「楽しき歌声(歌え若人)」らしいですよ?と話を振ったら


いや違うよ。
 『楽しき歌声』の演奏を確認したら
 Palette打ち上げで歌っていた詩、
 つまり、愛媛大学合唱団で歌っていた詩とも
 全く違うね」


えー?!


ぜん「Palette打ち上げで歌われていたのは、
 愛媛大学合唱団の団内で
 歌われているクラブソングです。
 歌詞はもう60年以上前……
 おそらく創団時の先輩たちが作ったもので
 歌詞の由来も何もわかりませんが、
 今でも団内では連綿と歌い継がれています。」


なんと!では今確認出来るバージョンは

1)藤井泰一郎氏の詩「いざ起て戦人」
2)仁科博之氏の詩「歌え若人」(楽しき歌声)
3)おそらく愛大合唱団創始者が作詩されたもの


この3バージョンがあるわけか!
全国を巡れば「いざ起て戦人」の歌詞改変版、ひょっとしたら他にも違うバージョンを歌い継いでいる団体があるかもしれません。
この記事を読まれているみなさま、もしご存じでしたら、コメントに書き込んで下さーい!