田中信昭先生不在のステージ・東混配信にて

 

 

東京混声合唱団特別演奏会 〜田中信昭を偲んで〜 東混オールスターズ@杉並公会堂 大ホール を配信アーカイブで視聴しました。

※9月23日まで視聴・購入可能

昨年の9月に亡くなられた田中信昭先生。

2024年8月末に行われた東混オールスターズでは、指揮台にジャンプして飛び乗るほどお元気だったのに・・・。

 

6名の指揮者がステージに上がられ、特に印象的だったのは次のステージです。

 

 

まず山田茂氏が指揮された武満徹「翼」。

演奏前のトークで、「混声合唱のためのうた」が生まれたきっかけは、武満氏が「東混は難しい曲をやっていて、お客さんも聴くのがしんどいし、歌う方もしんどいなあ。じゃあ僕が何か書くよ」「小さな空」を持ってきたのが始まりとか。

演奏会の直前に渡された楽譜はサイズB4の大きなもので、団員さんは大きな楽譜を持って苦労しながら歌った……というエピソード。

田中先生が初演された「翼」、改めて良い曲!と同時に、詩の中にある「自由」が感じられる演奏でした。

 

 

 

モナコからリモート出演の山田和樹氏

S.リーク作曲の「Kondalilla(滝の精)」

何度か聞いたことがあるシアターピース的な作品。

山田氏は柴田南雄「追分節考(1973年)」に言及され。

「こういうシアターピース作品は、東混と柴田南雄先生、そして田中信昭先生が協働して生み出し、世界へ広がることになった。つまり《追分節考》はシアターピース発端の作品なのだ」と。

指揮が映し出されると、山田氏の示す指の数が決まった音楽パートを指定し、追分節考の団扇を掲げることと共通するものを強く感じます。

男声はステージ上、女声は客席を取り囲む演奏形式で、虫や鳥の鳴き声などの自然音から別世界へ連れて行かれるような感覚。

 

 

 

続いて、高谷光信氏が指揮されたウクライナ民謡。

首藤健太郎氏の編曲と伴奏。

歌から採譜したというコサックダンス風の「通りでヴァイオリンが鳴っている」

現在のウクライナに思いを馳せる「私のキーウ」、哀切な曲と演奏が胸に迫りました。

 

 

 

一番印象的だったのは最後のステージ。

常任指揮者に就任された水戸博之氏が選んだ

野平一郎「転調するラブソング」から

「II.マリリン」

 

 

衝撃でした。

ジャズと現代音楽の融合なのですが、大岡信の詩を読んだ上で聴くと「マリリン・モンロー」という時代の象徴、そんな巨きな人物が世を去ったあとは世界が一変したように感じられる。

しかし、どれだけ言葉や表現を尽くしても、《死》の喪失には追い付けない、その空しさ。

 

「転調するラブソング」自体も2015年に田中信昭先生の初演作品なので、自分が委嘱した作品に自分が葬られる・・・。

この選曲と演奏も、まるごと田中信昭先生への追悼と感じられました。

合唱団員が舞台袖に消え、ピアニストの鈴木慎崇さんだけが残るステージに「マリリン」と呼びかける空虚と哀しさ。

ピアノが洒脱に、切なく響き。

 

最後は本当に誰もいなくなったステージ、水戸氏のアイディアという、譜面台を照らすブルーのスポットライトも詩の最後と重なり、非常に効果的。

現代美術の「インスタレーション」(空間全体を一つの作品と見なし、観客が全身で体験する表現手法)に近いと感じました。

演劇というよりも、むしろそちらに近い印象。

作品の難易度もそうですが、まさにプロ団体でしかできない選曲と演奏だったと思います。

 

 

 

東混団員さんによる田中先生の思い出を記したブログ。

山田茂氏による、田中先生の委嘱活動について。

作曲家には何年も前から頼んでおいて、「そろそろいかがですか」って催促するのよ。

 

ーそこまで積極的だったんですね。

 

そういう委嘱活動だったね。

それで作曲家に「誰がいいか」って話を聞いて、次の世代の作曲家のね、ちゃんと情報を得て。

そういうのは素晴らしかった。

それはちょっと今の人にはなかなかないよね。

かろうじてヤマカズ(山田和樹)ができるぐらいで。

 

ーつぎに人をつなげる、みたいなことですね。

 

そう。

 

いわゆる「合唱作品に定評のある作曲家」以外や、次の世代の作曲家に委嘱することは、アマチュア団体はもちろん、プロでも容易ではないのだと思わされます。

 

 

最後の曲「赤とんぼ」、指揮台には誰も立たず。

東混団員、出演された指揮者やピアニスト全員がステージ上に揃い、水戸博之氏が最初の合図を示すのみ。

 

不在、その人がもういないこと。

空白の周りを、人とその想いが取り囲むことで、不在の輪郭は顕わになり、失われた巨きさはより大きく感じられる。

しかし、どれだけ皆の想いが募ろうとも、その不在、その空白は決して満たされない。

 

田中信昭先生という巨きな存在の不在を実感した演奏会。

「赤とんぼ」は誰も終わりを示さぬまま、しずかに音が消えていきました。