東京国際合唱コンクール配信感想

 

7月28日から開催された第5回東京国際合唱コンクール、部門のいくつかを配信で視聴しました。

X(旧:ツイッター)で感想を書いたので、すこし直して載せておきます。
(言及していない団体についてはごめんなさい)

 

 


《フォルクロア部門》

発声の上質さ(他現代曲にも応用できる)と民族的な生(き)の声のイメージは両立するか、音楽にもそれは言えて。
そもそも聴く側の自分がオリジナルを理解しているのか。
インドネシアの団体がケチャを題材にした作品を演奏していたが、ケチャだってそんなに歴史が古いものじゃないし。
でも「ガワ」だけそれっぽいものでフォルクロアなのか、悩んでしまう。

あ、どこも少年少女、児童合唱団でありがちな「振り付け」じゃなく、「群舞」の印象なのは良かったです。
全員が同じ動きではなく、音楽の目的に合った「中心」は何かと見せるもの。

ひとくちに「日本の民謡」と言っても多様で全然違うわけですし。
自分の中にルーツがあるのか?と問われたら考えちゃう。

でも、「日本人としてのフォルクロアとは」と様々な視点から問い続けていくのは意義があること。
作曲家を年代で分け、民謡の捉え方の違いを考察してみたら?
例えば同じ(似た)民謡を間宮先生→松下先生→森田花央里さんで並べるプログラムも面白いかも?


部門チャンピオンは豊田市少年少女合唱団さん。
信長貴富編曲「てんてんてまりうた(和歌山のわらべうた)」

 

三善晃編曲「阿波踊り」

(※演奏中のスマートフォンでの撮影は許可されているコンクール)

どちらも素晴らしい演奏。
踊りが歌としっかり結びついている。
阿波踊りはここまでだと「編曲」と記すのに抵抗があります(笑)。

 


《室内合唱部門》

山形東高校音楽部さんはOBOGがいるとは言え、Lasso主体のプログラムが凄い!
Adorna thalamum tuum Sionは伸びやかなソプラノ。
全体にアンサンブル、表現しようとする意志があり、こういう高校合唱部もあるんだね!と驚く。


愛媛:女声合唱団「歌姫」さん、最初のVictoriaに「ん?この曲って女声……」と思ったら松下先生編曲なのですね。
信長先生「ある時」の激しい訴えかけ、軽快な楽しさの山下祐加作品と、演奏の幅が広いステージ。

 

《同声合唱部門》

兵庫東京静岡:CancaoNovaさんは細やかな表情と音楽が魅力。
リゲティも独特の音響をしっかり。いいね。
パウル・ツェラン詩のマルクス・ルートヴィッヒ作曲、どんな恐ろしい作品か……と思ったら、リフレインが切なく美しい、そして苦さを残す良曲だった。
他の作品も聴いてみたくなった。


コーラス・インフィニ☆さん、爽やかな声が好み。
音楽も自然さの中に惹きつけられる表現の深さが。
各曲のイメージの違いが明確に声へ現れている。(柴田南雄→カンカイネンの幅広さ)
指揮の湯田氏はコロナで急遽お休みとか。
いらっしゃたら、より一層説得力があったのかな? 
お大事になさってください。


(ふと思ったのは・・・)

音色を変えるってどういうことなんだろう?
明るい暗い柔らかい硬い。
難しいのは、やり過ぎはダサいし、ある一定のトーンをモノにしておかないと受け手が乗れない。(漫才や落語だってそう)
でも「本当は変えられるけど変えない」と、そもそも「変えられる色が無い」のは違う。
そうなると物足りなくなってしまう。
もちろん自分の好みと言えばそれだけなんですが、「音色の変化」を意識した演奏が自分は好きなんだなと。

 


《混声合唱部門:前半》

東京:合唱団ぬっくさんには10年前にこんなツイートをしていた。
人数も増やされ。継続は力なりを実感。
ランスタッドはこんな曲ばかりなんだろうかw 
でも一番合ってた。楽しい!

 

インドネシア:エルシャダイ合唱団、2年前も聴いてた。
ブラームスの彫りの深さ、パミントゥアンのドラマを支える熱さと祈り。
Noche (Lorenzo Donati)も劇的。
インドネシアの団体はどこも熱さがあって好み。
ピアニカでの音取りはえっ、と思ったけど音色も良かったし、電池切れの心配も無いから合理的なのか。

 


仙台室内合唱「紡輝」さん、最初の「水上」から実に心地良い響きと流れ、抒情にホロリ。
課題曲、モンティヴェルディは繊細さと生真面目さ?が集中度の高さに繋がって。
Giorgio Susanaの作品は知ることが出来て良かった。


デンマーク:DUVE-Det Unge VokalEnsemble最初の一音で「優勝!」
やはりアジアと違うヨーロッパサウンド。
音量の減衰が響きを失わず滑らか。
Jørgen Jersild(デンマーク 1913-2004)、現代作品への切り口が鮮やか。
Bára Grímsdóttir(アイスランド 1960-)は旋律の力感、お洒落さに泣きそう。
生で聴いた人はタマらなかったろうなぁ。
アンタたちがチャンピオンだ!

いやぁ、日本公演がこのコンクールの後だったら福岡か広島へ聴きに行ったんだろうけどなぁ。残念だ~。

 


《選曲について》

 

発声の上質さもそうだけど、DUVEは他パートをちゃんと「聴いて」理想の響きへ向かう、音色表現のパレットを全員が持っているかということでもあるのかな。
DUVE最後の曲はアイスランド人の作品だったと後で知り。
選曲についてもDUVE演奏の作品は全く知らなかったし(自分が不勉強なのもあるけど)海外団体は刺激になって有り難いですね。

作品のボーダレス化はより一層進んでいる感があって。
10年くらい前の作品では「フランスの作曲家」と言われれば「あ~、それっぽいかも……」と思ったが。
今は作曲家の国を言われても「ア、ソウナンデスカ」と思うばかり。
本職の方なら今でも推測できるのだろうか?

演奏面でも。
自分の少ない経験では、中国の合唱団ならではの演奏のイメージがあったが、TICCの香港の合唱団はかなり洗練されていた印象が。
「らしさ」は個性だし、完全に失われるとなると寂しいが、アジアもヨーロッパ等、世界中をミックスした合唱団の演奏が今後生まれると考えると面白い。

 


《DUVEの優れた演奏と自主性、マニュアル指導について》

やっぱり作曲上、音楽の狙いを各歌い手が理解して歌わないと!
半音階の下降やぶつかる和声の解決とか!
指揮者が歌い手を引っ張り目的地へ連れて行くんじゃ無くて、指揮者は目的地を示し、歌い手がそれぞれ自主的に向かうのが理想だよね。
コレだから日本の合唱は┐(´∀`)┌ヤレヤレ

……と昔なら書いていたかもな~。
今はちょっと違って。

例えば自分は「他人の体の動きを見て真似する」というのがメチャクチャ苦手で。
いま「舞妓さんちのまかないさん」というドラマを見ているが、仮に自分が舞妓見習いだとして(えっ
「踊りに心を込めて!」と言われるより
「おいどを10センチ下げて、左手を45度の角度で下方向へ曲げて」
とか具体的に言われる方がかなりマシである。

52歳にしてピアノを初めて弾き始めた「ヤクザときどきピアノ」で、

ヤクザときどきピアノ

ヤクザときどきピアノ

Amazon

どうしても弾けない難所でピアノ教師レイコさんはどう指導したか?

 

楽譜を縦に一音ずつ分解し、10本の指の形で覚え込ませたのである。
究極のマニュアルによる指導法だ。
合唱だったら表現の幅や奥深さは決して生まれないだろう。
だが「心を込めて」の指導で表現できない人間を取り零すことは無くなる

これはけっこう難しい問題で、ゴールが決まっていて、短い期間で結果を出さなければいけないとき。
そういうマニュアルを徹底させるのは凄く有効だということ。
「本当は抽象的な言葉を投げかけて、歌い手の自主性に任せたい」と思っている指揮者もいるだろう。
でもその結果、本番の演奏が成り立たなかったとしたらそれも許容できるか。

理想は踊りでも合唱でも、自分のようなヘボが多くいたとしても、見捨てず。
マニュアル指導と平行しながら、技能上位の人間が引っ張っていくことを期待し、理想を投げかける……

なんだろうけど、いや、具体的に考えるとムズカシイデスネ!(涙

 


《最後に》

 

作曲家のイヴォ・アントニーニさん、あなたのエゴサ能力どないなってんの?!